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2008/09/05

生と死と写真

最近思うに、写真をやっていると暗くなるっていうか、心が重くなっていくように感じる。
ってのは、写真って生と死を同時に撮るようなもんじゃないかって思う。
生と死って表裏一体で写真はそれを同時に写しちゃう。
というかどちらかしか写っていない写真ってのもあるけど、自分はどちらも写っている写真を撮りたいってことに気付いた。

だから知らぬ間に死と向き合ってしまう。
死ってのは生きていく上で必ず受けとめなければいけないもの。
死を受けとめなければポジティブに生きられない。
いや、死を受けとめること自体がポジティブなことだ。


ただ死ってのは、受けとめた後は普段、無意識層の奥にしまっておくんだと思う。
それが写真をやってるとカメラを通して常に死と向き合ってしまう。
自分にとって写真とはそういう行為。
別にだからと言ってネガティブになるわけではないけど、必要以上に死と向き合うことで心がフットワークが悪くなって重みが増えていく。

もの凄く輝いてるものって、同時に死へのベクトルも大きく向いているように思う。
生きれば生きるほど死が大きくなる。死の存在は生の輝きの輪の中にいると見えないけど一歩引いてみると、生と死が同時に見えてしまう。


つまりそこが生と死が同時に映る距離なのだ。
物理的な距離じゃなくて被写体との関係という距離。
写真を撮るときはついついこの生と死の俯瞰的な位置に立ってしまう。
何も考えず輝いてるものの輪の中に居れば幸せなのにね。


ふっと思ったけど女性を女性として撮るときは、敢えて死に向かう距離をとらないなー。
これは単純に女好きだからかもしれないけど、もしかしたら生に向かおうとしてるのかもしれない。
男はみんな母性に向かうっていうか子宮に戻りたいのかもね。
自分の戻るところをカメラ越しに探してしまう。
そういうことかもしれない。
大半のケースは性欲に向かっちゃうから中身が無い写真になりがちだけど(笑)
まぁ、生死が精子になるだけだから大差ないか。


というわけで、自分が写真でやろうとしていることは生と死を写すってことなので重くなっていく。


もしかしたら写真云々ではなく自分のモノとの距離感が常に生と死の俯瞰にあって、たまたま写真をやることでそれを具現化してるのかもしれない。
写真は距離感や関係を表現する媒体で、だから写真が好きなのかな。

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