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2008年5月

2008/05/20

誕生日

祝われるより祝うほうが楽しいなーと思うようになったのは年齢のせいかな?
今日は子供の五歳の誕生日で、今は帰宅途中の電車の中。
フッと、そんなことを思った。

お祝いしてもらうのはもちろん今でも嬉しいけど、お祝いしてあげたときの子供の笑顔は何よりの喜びだなって思う。
特に今回は本人も誕生日というのがわかってきていて、プレゼントがどうとかじゃなくて、お祝いをしてもらうというのを喜んでいる様で、こちらもお祝いのしがいがある。

本当は今日は定時に会社を飛び出る予定だったけど、結局こんな時間になってしまった。
今日は息子が好きな回転寿司で家族三人でお祝いをする予定だったけど、遅くなるから二人で食べててと、自分は仕事に専念した。

で、さっき会社を飛び出ながら携帯をチェックしたら
「パパが来るまで回転寿司に行かないだって〜」
のメールを発見〓
おー!なんか感動!
そーだよねー。誕生日ってみんなで集まるのが特別なんだよねー。

これは急いで帰らないと!と思いつつも約束のチーズケーキは買わないとと、急いでデパートへ。
誕生日プレゼントはお昼に購入済み。Wiiのマリオカートね。
なんかドタバタしたけど、良い誕生日になりそうだ。

四歳なら四歳なりの、五歳なら五歳なりの誕生日があるんだなーと思った。
まっ、祝われる本人に実感は無いんだろうけど。
親の喜びだね。

写真とは関係ないけど想い溢れて書きなぐってみましたヽ(´▽`)/

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2008/05/19

自業自得

今週末は現像24本が目標だったけど結局1本も現像できず。
金曜の夜に急きょ奥さんの両親と食事をしたのを皮きりに土日はズーッと子供の相手とかをしていた。
土曜の午前に少し時間があったので、フィルム8本をタンクに入れたけどそこで終了。

いやー、ちょっと尻に火が点いてきたな。
もう現像済みからセレクトしちゃおうかなーとか考えちゃう。
別にどこまでが今回の作品用って決まってるわけじゃないし、これから現像する分にとって置きが隠れている予感がするわけでもない。
ただ最初に自分が決めたラインを下回るのは気分が悪い。
元々ノルマなんて無い世界だからこそ、自分の気分重視が大切だ。

取り敢えずここが最初の踏ん張りどころだなー。
自業自得だけど。。。

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2008/05/16

今週も終了〜

さて、明日はやっと土曜日。
色々やりたいことがあるけどどうしようか…と悩んでいる。
七月の写真展に向けて手持ちの未現像フィルムを現像しきって写真セレクト準備に入らないと、というのが最優先事項。
しかし写真セレクトはある意味エンドレスな世界だからその前に小さい用事を片付けたい気持ちもある。
オフィスギャラリーの更新が滞っているのがその最たるもの。
作品は出来ているけど先方とのスケジュール調整が出来ずノビノビになっている。
後は優先順位は低いっていうか用事じゃないけど、どこか撮影に行きたいなーという気分。
なんかベタな撮影がしたい。
花や風景とかポートレートとかで結果は置いておいて撮っていて楽しい感じの奴。
カメラを握り締めて被写体に「写ぶり」つく感じ。
せっかく当分は下手な写真でいいやと割り切ったのだから、ライフワークとしての写真じゃなくて趣味の写真を楽しみたい。

写真だけでもやりたいことがこれだけ有る。
撮影に行きたいってのは別に後回しにできるけど、やりたい度からすればこれがナンバーワンだ。


とか書いたのが行きの通勤電車。
今は帰りで改めてどうしようか迷っている。
やっぱり現像せねばなーと思う。
今日帰ってから一発やって、明日は二発やれば合計24本。
これで手持ち未現像の半分くらいかな。
本当は未現像ゼロにしてから写真セレクトに入りたいけど、まっしょうがないか。

さていよいよ写真展準備モード。
どんな写真が埋もれているか自分でも楽しみだ。

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2008/05/15

一夜明けて

当分このまま下手な写真を撮り続けてみようかなと思う。
今まで見つけてきた主題というのは写真になって面白そうなものを無意識に選別していた。
それは今までの経験則に基づいた予定調和でしか無かった気がする。
それはそれで、その経験則ってのも自分のものなんだから悪いものではないんじゃないかとも思うが、その経験則ってのが、こういうのがアートっぽいという固定概念や先入観に縛られながらやってきてしまった様な気がする。
だから今、自分の写真に閉塞感を覚えているのではないだろうか。

今までの写真が悪いって話ではなく、なんか自分の写真ではないという感覚。
アートって自分の内側から出てこないと何の意味もないと思う。
っていうか、別に自分がやっていることがアートかどうかなんて関係ないことで、やりたいのは作品への自己投影であってそれをアートと呼ばないならそれでも良い。

振り返ると自分は常に自己表現の場を探してきた。
自分の個を表現したくて模索を続けてきた。
バンド、小説、詩、絵画、漫画、演劇、スポーツ、、、
で何の因果か一番自己を表現しにくい写真にハマった。
バンドもまだやってるけどね。

何で写真なんだろうとは未だに思う。
適当な理由は都度付けたりはしたけど、事有るごとにこの疑問が浮かんでくる。

まっ、この話はまた考えるとして、話を戻すと、当面今のへたくそなまま写真を撮ろうということだ。
エムじゃないけど、当分、自分の感性の無さという現実と向き合ってみるつもりだ。

七月の写真展用の撮影はもうクローズしたから、当面はそういうスケジュールに追われる必要もないし(笑)
ちなみに写真展用の写真は集中的に撮ったのは9ヶ月、元々今回のテーマで写真を撮っていたのは数年。
撮影は良いのだけど、写真セレクトの為の混沌の海は待っている。。。
時間が十分有れば写真の海で溺れるのも楽しいのだけどなー。

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2008/05/13

最悪

自分の感性の無さにゾッとした。
今回カラーで撮ったやつの上がりを見ての話。
大概のことは笑って流せるけど、今回の写真はあまりにもチープ過ぎて笑うに笑えない。。。
真面目に写真をやめようかと思ったくらい。

普通に撮るってのに取り組んでその一環でカラーを詰めてみたけど、カラーとかモノクロとかそういう話じゃなくて、カッコ付けるのをやめたら残ったものは余りにもチープな自分だった。

前回のブログで言ってた通り、素の自分が映ったんなら良いじゃんって思うかもしれないけど、それにしてもひどい出来でまだドキドキしている。

本当は誰にも内緒で今回の写真は無かったことにしたいけど、こんな気持ちになったのは久しぶりか初めてだから取り敢えず書き留めることにした。
ここを無視して今までのレールに戻ったら、この先、もっと辛い思いをしそうだから。

今までやってきて身にまとった知識や経験という鎧を脱いでみたらクソつまらない自分を発見してしまった。
今までやってきたことはなんだったんだろう。。。

うーん、どうしようか………。

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自分をさらけ出す

とりあえず未だ、普通に撮るってことを模索中。
一昨日は久しぶりにカラーを詰めて撮ってみた。

撮り方はそんな変わるわけじゃないけど撮影時にカラーで被写体を見ている、というのはある。
まっ、だからといって意図的に撮り方を何か変えているわけでもない。
結果がどうなったかは自分でも楽しみでそれは今日の夕方にお店から上がってくる。
こうやって写真の出来上がりを待つ感覚ってのも久しぶりだ。

そうそう、以前、写真を撮るのは自己を掘り下げる行為で、誰かに何かを伝えるためにやっているわけではないから、「表現」ってのとは違う気がすると書いた。
けど、改めて自分は「自己表現」をしたかったんだと思った。
写真を撮ったり組んだりする中で自己を作品に投影する。
そしてそれを人に見てもらう。
自分の存在価値を問う行為だったり、居場所探しみたいなものか。
これは生きる上での人の本能なのかな。
でも現実社会ではカッコ付けたり、演じたりして器用に生きていかないと生き残れない。
でもどこかで素のままの自分を見てほしい、見つけてほしいと思っている。
だから人は写真や歌、絵などに素の自分を投影するように思う。

少なくとも自分はそうなんだと思った。
だから作品は極めて自分自身である必要があって、カッコ付けたり演じる必要が無い。
素の自分をさらけ出して誰にも評価されなかったら、改めて自分自身を研けば良いんだと思う。
いや、素の自分をさらけ出すこと自体が目的かも。

とにかくこう考えることで写真を撮ることが辛くなくなった。
キーワードは「素の自分をさらけ出す」。

いーんじゃない?
生きていくためにどこかにしまい込んだ本当の自分を探す旅に、やっと専念できそうだ。

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2008/05/08

GO NEXT

普通に撮れない!なんて言っていたのがゴールデンウィークの半ばだけれど、そこからゴールデンウィークの後半は普通に撮るってのをテーマに写真を撮っていた。

普通に撮るって言っても普段やっているのが普通になっちゃってるから、変えようと思ってもほとんど何も変わらない。
ただ撮るときに、普通に撮るよ〜、普通!普通!
とか言いながら撮っていた(笑)
あとはノーファインダーをやめた。
ただレンジファインダー機だ、ファインダーの像を信用するわけでもなく、フレーミングには大した影響は無い。
ただ、周りに撮ってるよっていうアピールと、自分の中でハイ、チーズっていう間合いを作るためにそうしてみた。
これが良いのか悪いのかは分からないけど少し気持ちのリフレッシュにはなった。

そんなこんなとやっていたら一つ壁を乗り越えるヒントを掴んだ。
たまたまだけど、奥さんを京都の祇園の橋の横に立たせて、普通に観光写真を撮ろうとしたら、
「こういうの久しぶり〜。」
と嬉しそうな笑顔を見せた。
観光地での記念撮影が嬉しいんじゃなくて、こういうカップルっぽい行為を喜んでいる感じ。
シャッターを押しながら、あー自分が撮りたかったのはこれだった………と撮りながら自分も幸せな気分になった。

そこから急に被写体が見え始めた。
というか、今までタブーとして避けていた写真も抵抗なく撮れるようになり、タガが外れた感じ。
撮ることが久しぶりに楽しくなった。

タブーなんて無いと頭でわかっていてもこれまでの経験でボツになりがちな被写体やシチュエーションは無意識レベルで鬼門としてしまい避けてしまうことは多々ある。
これは写真というものを頭で考えすぎた弊害だろう。
本当は鬼門なんて無いとはわかっていても無意識のなかに染み付いちゃっているから、そういうのを振り払うために撮りまくったり、まったく撮るのをやめたりする。
今回はたまたまだが、結構すんなり壁を乗り越えたようにみえる。
でも、改めて考えると去年の10月辺りから試行錯誤をしていた。
何となくあった閉塞感というか、当時やっていることの先に自分の目指すところが無い気がしていた。
今回は本当に目の前の霧が晴れたようだ。

当面は悩まず写真を撮ることを楽しめそうだ。

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2008/05/04

普通に撮れない!

最近久しぶりに壁を感じている。

ちょっと前に作品撮りという意識じゃなく普通に写真を撮りたいと書いたけど、その普通に写真を撮るということが出来ない。
どうしても作品を撮るという意識が抜けなくて、思い切って一眼レフを使うのをやめたのが数ヶ月前。
一眼レフだとついつい写真を決めすぎてしまう。
なので代わりにHEXARオンリーでで撮り続けている。

こういう試行錯誤をしているのは自分の写真からどうしても作為が抜けなくて、アッジェやアラーキーの様に素直な写真にならないからだ。
なんつーか、一言で言うといやらしい感じだ。。。
こうなってしまうのは自分の根底に上手い写真を撮りたいとか、撮れるんだよっていう自己顕示欲があるのだと思う。
頭ではそんなつもりはなくても深層心理のなかにそれがあって、不幸なことにそれが結構大きいのだと思う。

でも写真表現なんて考えもしなかった頃は、ただ写真を撮りたい、写真にしたいという気持ちだけで撮っていた。
だから今、昔の様に普通に撮るというのに立ち戻れれば………と思っている。
でも改めてそうしようと思ってもそうならなくて苦悩している。

ホント写真って難しい。
人の写真を視て良いなーとか良くないなーとか思えても自分の写真にそれを反映させることが出来ない。
それに撮影者の意識がもろに表れてしまう。
そのくせ伝えたいことは伝えにくい表現媒体。

先ずは上手くなりたい、といった感じでやってきたけど、これ以上その感覚でやってしまうとそこから抜け出せなくなってしまいそうな予感。
とにかく今は普通に撮る感覚を取り戻したい。

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2008/05/02

はじめての自家現像

ホームページの方へやっと「はじめての自家現像」という自宅でモノクロフィルムを現像する方法をアップした。
本当はもう少しイラスト満載で行く予定が力尽きて最低限の挿し絵となった。。。
にしても久々の気合いの更新となった。よくやった俺!

改めて、これから自宅で現像をはじめようという人がこれを見てどう思うかと考えてみると、3ページにも渡っていてかな~りメンドクセー!って思う気がする。

それでも物好きな人がいたら是非参考にしてください。
また何か突っ込みどころがあったら突っ込んでみてください。
情報交換希望です(^-^)/

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2008/05/01

らくがき

今日、こどもとお絵かきをして書いた絵をスキャンしてPCで色を塗ってみた。
適当にチャッチャッとやったので雑だけれど、大体手順を確認できた。

というのは今、HPに作成中の自家現像のHOW TOは簡単なイラスト入りで解説しようと思っていて、紙に書いた絵をどうやってPCに取り込むか考えていたので。
同レベルのイラストしか入れられないけどまぁ文字だけで解説するよりはマシだろう。
と言うわけでお試し画像をアップ~^^;
Photo

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ポール・ポッツというオペラ歌手がいる。
みすぼらしい風体の男がイギリスのオーディションに参加し、誰もが期待をしていない中、歌いだしたとたん審査員や観衆を圧倒して最後はスタンディングオベーションで喝采を浴びた。
まるで映画のエンディングのようなシーン。
それを以前、特ダネで小倉さんが紹介していたのを思い出してネットで動画を探してみた。

いやー、感動した。
圧倒的な才能というのは見ていて気持ちがいい。
上手いとか下手とか頭で考える前に心が震えてしまう。
彼はここから大ブレークをして全世界各国のアルバムチャートで連続一位を獲得している。
でも日本では全然で日本のこういう芸術文化面の意識の低さが窺い知れる。
写真に対しても同じで写真をお金を払って買おうなんて人は稀だと思う。
たまに写真集を買うって人がいるくらいかな。
自分もたまに写真集を買うくらいで、基本的に芸術にお金を払うって感覚はない。
ポール・ポッツのアルバムを買う気ないし(笑)

つまり写真(アート)をやっていてもお金持ちになる可能性はきわめて低くアラーキーくらいにならないとダメってことだ。
金持ちを目指してるわけじゃないから道楽ってことかな。

で、そのアラーキーの話だけど、最近古本市でアラーキーの写真集を2冊買った。
「冬へ」と「顔写」。
冬へが特に好きで、やっぱりアラーキーは写真が面白いなーって感じた。
それらを視てて思ったのが何事も飽きる程やりこんで、飽きた先に何を見いだせるかってのが才能かなーって思った。
骨までしゃぶり尽くして、更にそこからダシを取ったり、磨いて飾ったりと次の一歩に行ける感覚。

しゃぶり尽くすとこまでは努力だけど、しゃぶり尽くした後に次にいけるかが才能。
どんな次が思いつくかってのも才能。

つまり、まずは飽きる程やらないとダメだなーって思ったってこと。
もうこれ以上しゃぶっても味は出ないよ〜ってとこまで行かないと。
自分は写真をひたすら35mmモノクロでやってるけど、まだまだその域まで行っていない。
だから自分は才能が無いとか言うには早すぎるし、デジカメやカラーに行くのも早すぎる。
飽きたなーとか、物足りないなーと思ったら何か工夫が出来るチャンスだと思ってやっていこう。

というわけで、まだまだ銀塩モノクロをやり続けようと決心した今日この頃だった。

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